新潟大学バドミントン部OB会の歩み

 昭和48年(1973年)11月新潟大学バドミントン部OBと現役学生が新潟大学旧教育学部体育館[注1]で羽打会を行い、その後懇親会を開催した。この集まりは、この年卒業した芳賀俊二さんの「年に一回くらいOBが集まってバドミントンと懇親会をやりたい」と、伊藤辰彦さん達次期執行部に依頼したことに端を発している。当時は2年上の先輩の言うことは「絶対」だったので伊藤さん達は仕方なくOBへの連絡、会場設営等を遣らざるを得なかったと推察される。芳賀さんのもう一つの言い残しは「3年続くとやることが普通になり伝統になる」というもの。よって次期執行部から、前例に習い同じように学生主導で会の案内及び設営で10年以上開催され続け、参加人数も増えOB学生合わせて百人を超える会にまでなりました。そのような会になると案内の手続きも煩雑になり、また正式なOB会として発展させようとの機運もあり、会長、副会長、会計及び会則も定めることとし、昭和62年(1987年)11月白山会館(白山神社内の会館)にてのOB会総会で発足しました。当日は会長に第1期卒業生で元新潟県教育長の有磯邦男氏を迎え、役員、幹事の選出、会則及び事業計画が、満場一致で承認されました。また、名誉会長には、前バドミントン部顧問の教育学部名誉教授市嶋智三郎先生[注2]をお願い致しました。OB会の形ができたことに伴いそれ以降はOB主催で総会や羽打ち会を開催することにしました。日程を決め、案内状の作製[注3]、送付及び会場の選定には苦労致しました。先ず開催時期は何月頃が良いのか、学生の試合日程や体育館の空具合、懇親会の会場の日程調整等を行い、案内状を作製し送付作業に追われました。案内状の送付もOBの皆様に確実にお届けしたい思いから学年幹事を選出して頂きその学年幹事に纏めて送付し、もし住所変更が有ったとしても学年幹事で住所管理して頂ければ転送等で皆様のもとに届くと考えました。しかしながら、学年幹事の中には転勤等で住所が分からなくなったり同学年への送付をして頂けなかったりで、平成14年(2002年)事務局が増井さんに代わってから直接OB各位に送付する方法に変えました。今は名簿上750名を超える会員数になっているものと思います。会場も出来るだけ安く又交通の便が良いところ及び開催日程に合わせられる会場を求め白山会館、厚生年金会館(今は有りません)、東映ホテル等を開催場所としていましたが最近はANAクラウンプラザホテル新潟で開催しております。平成9年1月には関東支部を作ろうと総会を開催いたしました。残念ながらその後は開催されなかったと思います。
OB会名簿を平成2年より2年に1度作製し皆様に配布しておりましたが個人情報の問題もあり平成20年を最後に現在は作製しておりません。
OB会は上記の一人の発想から出発しましたが、私にとって新潟潟大学バドミントン部に在籍していたことにより今でも卒業年度に近い方達が2年に1度集まる会や関東地区でゴルフをする会、年に2回麻雀と飲む会等定期的な会や東京等から出張等で新潟に来るから会おうと声がかかったり、逆に行くから飲まないかと誘ったりと50年近い交流が続いております。卒業30年記念やOB総会の際に集まるとかで交流されている学年も有ると聞いております。また部員同士で結婚されている方々も相当数います。これらはお金では買えない貴重な宝と思っております。現役学生の方々には今後何十年も続けられるような深い学生生活を送られますよう願うものです。

注1 昭和48年当時の新潟大学は今の五十嵐地区に理学部と教養学部(今は改変してます)しかなく人文学部(現在の法学部、経済学部等の前身)は西大畑の現付属小中学校
辺りに、農学部は新潟市東区藤見町、工学部は長岡市、教育学部は新潟地区西大畑、長岡地区、高田地区に分散しておりました。旧教育学部の体育館は現在の新潟大学医学部保健学科にある体育館です。その後、順次統合移転を進め、現在の姿になっております。その為、バドミントン部も新潟、長岡、上越の3か所にあり、合宿や学内戦も新潟と長岡で交互に行っておりました。尚、工学部を移す代わりに長岡技術科学大学が、教育学部を移す代わりに上越教育大学ができました。

注2 昭和24年6月、新潟大学の創立、発足に関わりバドミントン部の設立当初よりお世話になりました。昭和26年から43年まで新潟県バドミントン協会理事長、昭和46年から51年まで新潟県バドミントン協会会長を歴任されました。昭和60年日本バドミントン協会から最高の栄誉賞である本田賞を受賞されました。また昭和63年に当時県協会名誉会長であった市嶋様より寄贈された市島杯が田村杯に追加されシングルスチャンピオンに贈呈されるようになりました。

注3 当時のパソコンは16ビットになった頃で本体の記憶領域も少なく1MBの5インチフロッピーディスクでソフトの読み込みやデータ保存をし、ファイル名は半角8文字以内、マルチタスク等は不可で500人程の宛先を作製・管理し宛名印刷をするのにはかなり苦労しました。プリンターやソフト込みで40万円以上はしたと思います。